Blog Post

3.11から10年 被災地「女川」から今思うこと

木下香奈子 • Mar 08, 2021

宮城県出身、在住の私がホープの東北復興支援担当者として現地で活動を開始したのは2012年。多くの被災者がいつまで続くのか分からない仮設住宅生活の中で、生計を立てていくために何かしなくてはならないと悲しみに蓋をして活動を始めようとしていた頃でした。


この頃、東北には支援を希望する企業、ボランティア、支援関係者など、かつてないほどの多くの人々が流入していました。支援する側の「この被災地で人を助けるヒーローになれるかもしれない」、「より良い案件に支援したい」といった思いがひしめき、被災者の取り合いや縄張り意識を感じることもありました。

一方被災者側は、「誰の支援を受ければ良いのか」、初めに支援してくれた人に恩義を感じながらも「新しい支援関係者とどう付き合っていけばいいのか」といった悩みも抱えていました。


そのような状況の中、ホープは海外での支援経験を生かして2億円超という大きな支援金を預かり、現地のニーズに合わせた緊急支援、生業(なりわい)支援を実施。その後2016年まで社会的弱者支援として「こころの傷を負った子どもたちや家族の支援」を行いました。いずれの支援も被災者や現地の団体自身が考えた再建計画をもとに、彼らが当事者意識を持って計画を実行できるよう、「オーナーシップ」を尊重した活動を行ってきました。

今回は様々な支援先の中から、宮城県の女川(おながわ)駅前で最初にお店を再建させた衣服店「大新」を営む島貫さんからいただいたメッセージを紹介します。

島貫さんとホープの出会いは、震災後に開設された仮設商店街「きぼうの鐘」で島貫さんがお店を再開させた頃。お店に併設するカフェの運営と新たな目玉商品となる風呂敷作りを支援し、持ち前のやる気と行動力を後押しすることができました。仮設商店街が閉鎖する前の2015年7月、女川駅前に改めて「大新」をオープンさせ、5年が経過しました。

「あの日からもう10年が経つのですね。あの日、瓦礫の山だった女川は世界中のたくさんの人々のご支援で、見違えるような街に生まれ変わりました。被災前には知り得なかった人々から素敵なご縁やご支援を頂けたことは本当に心から感謝致しています。ありがとうございます。


被災前の私の店は祖父母の代から90年近く続いた店です。祖父母は女川の人間では無く、よその土地から移り住み女川で商売を始めました。そして信用を築き、女川の地に根を張り商売を繁盛させてきました。そのお客様も高齢となり人数も少なくなりましたが、祖父母の代、父母の代からのお得意様に今も支えていただいています。私も商売をしている以上、信用を大切にし、女川の地にしっかり根を張っていきたいと思っている今日この頃です。この1年はコロナ禍にあり、女川の飲食店も売り上げが半分以下という月がかなりあったようです。1月に緊急事態宣言が関東で出されてから、女川も同様に観光客は減りました。皆さんの大きな支援を頂いて復興した町ですので、何とか持ちこたえていこうと頑張っています。


昨年はコロナ禍にあり、ボランティアの受け入れが出来ませんでしたが未だきて下さっています。町としては、まだ「復興支援」が必要と言う考えもあります。でもわたしはいつまでも被災者の立場に留まっているのではなく、「支援されるのが当たり前」という考えから脱していかなければならないと思っています。今度は自分たちが災害の被害者や社会的な弱者に目を向け、そこへなにかしらの手を差し伸べていくことが置き去りにしてきた心の復興にも繋がるのではないかな・・・なんて考えています。」

震災後5年を目処に撤退する支援者が多く、地元の団体へ事業がうまく引き継がれたところ、そうではないところ、10年経てばその結果は一目瞭然です。緊急・復興支援の難しさを感じますが、内向きだった東北の人々が世界各国からの支援を受け、感謝し、そしてこれまで目を向けることがなかった世界で起こる災害の被災者や貧困に目を向けるようになりました。今は被災地も世界共通の問題である新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けていますが、多くの人々がまたこの被災地を訪問し、災害に対する意識を高めていって欲しいと願っています。

Share by: