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エチオピア駐在員のおもいがけない緊急帰国

HOPE-JP • Nov 24, 2021
エチオピア駐在員のおもいがけない緊急帰国

2度目の緊急帰国

エチオピア国内の武力紛争の激化により、エチオピアの駐在員である私、小野寺と野澤は、新型コロナウィルス感染症のパンデミックに続き、今月7日、日本への再度の一時帰国を余儀なくされました。昨年11月に勃発し現在も進行中であるエチオピアの武力紛争は、アビィ・アハメド首相と北部ティグライ州の支配政党であるティグライ人民解放戦線(TPLF)の政治的争いを発端としています。


新型コロナのパンデミックのため、私たちがエチオピアを去ってから1年半、ようやく今年の10月11日にエチオピアへ戻ることができました。首都アディスアベバに到着したときは、武力紛争はまだ北部に限定されていました。私たちは現場に戻ることができたことに安堵し、現地の同僚とともに今年2月から新事業が始まった事業地へ行くことを心待ちにしていました。まさか1か月も経たないうちに、再びエチオピアを離れなければならないとは想像だにしていなかったのです。

アディスアベバの著しい発展と新型コロナの影響

私たちの任務は長期に渡るため、入国すると先ずは首都アディスアベバで労働許可証の申請をします。この申請業務はいくつかの政府機関が関わっているため、時間がかかり大変な忍耐を要します。

申請を行っている期間は、現地の友人との近況報告を兼ねたアムハラ語の練習など、エチオピアでの日常感覚を取り戻すことに力を入れていました。


市内はこの一年半の間に様変わりしていました。いたるところで道路の建設が始まり、エチオピア一高い建物になる、高さ約200mのコマーシャルバンク本社タワーの完成も間近。今年オープンした観光スポットのフレンドシップパークやユニティパーク、市内の交通渋滞の激化もエチオピアの発展を物語っていました。

エチオピアで一番高いビル

エチオピアで一番高いビル

アディスアベバ市内の様子

アディスアベバ市内の様子

今回は新型コロナが完全に鎮静化していない中での渡航ということもあり、現地の人々の感染予防対策を注意深く観察しつつ、私たちも対策を強化していました。現地では一つのお皿に皆が手を伸ばして食事をする文化や、お互いの肩を軽くぶつけ合う伝統的な挨拶がありますが、今回の新型コロナの影響で、そのような文化や伝統を見る機会がなくなってしまったことはとても悲しかったです。

事態急変の暗示

労働許可証の申請業務に追われ、アディスアベバでの生活が3週間を過ぎたころ、日本大使館を訪問したときに「アディスアベバのすぐ北に位置する、アムハラ州の都市デセが、近々ティグライ人民解放戦線(TPLF)によって占領される可能性がある」と知らされました。その情報は私たちの後の行動に大きな影響を及ぼすものでした。


滞在していたホテルのテレビは地元の2局しか視聴できず、インターネットも非常に不安定だったため、私たちは現地の最新情報を得づらい状況にありました。主な情報源は、日本大使館から配信される安全情報と、スマートフォンで見る日本メディアのエチオピアに関する報道でした。

非常事態のはずなのに

日本大使館訪問の翌日に、デセが制圧されたことを知らせるメッセージが、翌々日にはアムハラ州で非常事態宣言が発令されたという情報が日本大使館から届きました。けれども周囲の人々は普段通りであり、デセからアディスアベバまでは距離もあることから、私たちもあまり深く考えてはいませんでした。


ところが、さらに2日後の11月3日から状況は急変し始めました。非常事態宣言が全国に拡大されたこと、ティグライ人民解放戦線(TPLF)が首都間近に迫っていること、日本人はエチオピアからの国外退避を検討すべきこと、などのメッセージが大使館から次々と届いたのです。


しかし、この非常事態にもかかわらず、アディスアベバでは通常通りの生活が続いています。人々は会社に通勤し交通渋滞もいつも通り。お店やレストランも休むことなく営業しており、パニックの気配などはみじんもなく、食品や日用品の買いだめも見られませんでした。私たちの周りの誰もティグライ人民解放戦線(TPLF)について話しさえしませんでしたし、首都への接近を心配しているようにも見えません。私たちが意見を求めた友人の何人かは、ティグライ人民解放戦線(TPLF)がアディスに到達することなど絶対にないと自信を持っているのです。

スーパーマーケット。マスクを着用しないと入店できません。

スーパーマーケット。マスクを着用しないと入店できません。

日本大使館の情報の緊迫感と、友人や同僚のリラックスした様子があまりに対照的で私たちは戸惑いました。結局は現地に暮らす彼らの楽観的な態度に感化され、私たちはもう数日状況を見て判断することにしました。この時点で、私たちは労働許可証申請の最終段階にあり、紛争地域からは遠く離れた南部の事業地へすぐにでも出発できることを淡く期待していました。

突然の出国要請

入国してから4週間経った11月5日の昼下がり。週末はようやくリラックスできるだろうなどと考えていた矢先、日本のホープから電話があり、「急遽、明日のフライトでエチオピアから帰国するように」とのこと・・・

日本の外務省から、日本人スタッフ全員を一刻も早くエチオピアから退避させるよう要請があったからです。


電話を切ってからは目まぐるしく時間が過ぎていきました。エチオピア航空のチケットオフィス、入国管理局、日本大使館、そしてPCR検査の施設をタクシーで行き来し、出発までの残りわずかな時間で帰国のための全ての手続きを済ませなくてはなりません。

私たちは平静を装いつつも混乱していました。友人や同僚のポジティブさと、タクシーの窓越しに見るアディスアベバの風景が廃墟になるかもしれないという恐怖と悲しみの間で、私たちの感情は揺れていました。

エチオピアの平和を願って

成田行きの飛行機への搭乗前、友人たちに電話で別れの挨拶をしている間、皆が平穏無事でいられるのだろうかという心配が私たちの心に重くのしかかっていました。

エチオピアの紛争が迅速かつ平和的に解決されることを心から祈っています。そして、少しでも早く私たちもエチオピアへ戻ることができますように。

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