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「あふれる希望」 パムラーンセンターから:ヨネファーのストーリー

HOPE-JP • Jul 18, 2022

フィリピンのダバオ市に、パムラーンセンターという先住民族の若者ための高等教育機関があります。


フィリピンの先住民族は独自の文化や言語を持っています。しかし国の開発から取り残され孤立し、貧困や差別の問題も抱えているため、自分たちの出身をかくして生活をしている若者もいます。


パムラーンセンターは先住民族の人たちが誇りを取り戻し、独自の文化を守り、現代社会と共存していくための知識・技術を身につけるための場所として設立されました。ここで学んだ生徒たちが出身地に戻り、貧困からの脱却、伝統文化の継承に貢献しています。


今月はホープが奨学金支援をしているパムラーンの生徒、ヨネファー・ドゥマプリン・ノハさんのストーリーをご紹介します。


ヨネファーのストーリー

私はヨネファー・ドゥマプリン・ノハです。南アグサン州タラコゴン市ラ・フローラのマノボ・アグサノン族出身の21歳です。 農業と漁業を生業とする家庭で育ちました。7人兄弟の6番目です。4人はすでに結婚し、仕事をしている姉が1人、そして私と弟が学生です。3人の兄弟が中等教育を受けましたが、経済的な理由で高等教育を受けられなかったことは、言葉にはできない辛い現実でした。

それでも私は愛情深く思いやりのある家庭で育ったことに感謝しています。小学校に通い始めたばかりの小さなころは、どうしても自分と他の生徒との環境を比べてしまっていました。通学には船と徒歩で1時間かかり、大雨が降ると学校に行けないこともありました。貧しかったのでお弁当は主に根菜類やコーンライスでしたし、学校で必要なものを買えないこともあったからです。


高校は家から遠く、通学できる距離ではなかったので、勉強を続けるため家を出て、叔父の家から通わせてもらいました。けれどそんな生活を恥ずかしいと思ったことはありません。家族と離れて暮らしたことで自立心が養われ、おかげで私はたくましく、粘り強く勉強に取り組めるようになり、優秀な成績を残すことができました。


小さなころは兵士か教師になりたいと思っていました。両親には経済的な理由などで兵士になることを賛成してもらえませんでしたが、パムラーンセンターへの進学を勧められたことで、教育の道に進むことが私の目標になりました。 そして幸運にもマノボ・アグサノン族から、私を含め5人がパムラーンセンターに入学できたのです。

パムラーンセンターでフィリピンの多様な文化や伝統について学ぶことで、私の視野は広がりました。このセンターがさまざまな部族の人々を招き入れ、認め、励まし、それぞれの部族特有のダンスや衣装、言語、価値観を共有する機会を与えてくれたことに感謝しています。おかげで現在失われつつあると感じていた自分の部族のアイデンティティ、風習、儀式に感謝する気持ちが芽生えてきました。

パムラーンセンター

それだけでなくパムラーンセンターでは、私たちは責任ある個人であることを教えてくれます。例えば早起きをして行う料理や庭の手入れは自制心を身につけられますし、朝の祈りの時間は信仰心を深め、神に感謝する機会になるからです。

パムラーンセンターのプログラム

私は現在パムラーンセンターのプログラムを通して、出身部族の子どもたちに読み・書き・算数を教えています。新型コロナの影響もあり、近年特に学習の貧困が深刻化していますが、自分が持っている知識を子どもたちと共有することで、彼らの基礎学力を向上させたいです。

卒業後は家族のもとに戻り、地域社会に貢献したいと考えています。その目標が達成できるよう、さらに知識を深め、学び続けたいと思います。

皆さまからのご寄付によりフィリピンでの教育支援活動は支えられています。

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